ジム・クラーク世界王座50周年!

2013.09.10モータースポーツ

9月最初の週末は、レースファンにとってイタリアGP、モンツァの週末です。現代のF1では年間19戦ものグランプリ・レースが行われますが、私が最も熱中していた1970年代後半は精々15戦、遡ってジム・クラークが頭角を現した1960年代序盤に至っては9~10戦程度。何を言いたいかと言いますと、今年のF1におけるモンツァは19戦中の12戦目で、あと7戦も残っていますが、我々の世代の記憶にあるモンツァのイメージは、“9月に入ってシーズンもいよいよ佳境”というものであり、ぜいぜい残り1~3戦。モンツァでその年の王者が決定してしまうことも少なくなかったということです。

また熱狂的なティフォシ達とフェラーリのカリスマ性が支配する一種異様な空気の中で、他のグランプリでは考えられないようなドラマがしばしば発生、時に取り返しのつかない悲劇も起きました。ウルフガング・フォン・トリップス、ヨッヘン・リント、ロニー・ピーターソンらが亡くなったのも、9月のモンツァ、イタリアGPでの事故でした。

上述のように、チーム・ロータスはイタリアGPで二人のドライバーを失っています。リントとピーターソン。各々の時代で最も速い男とよばれた二人は、スピードの聖地での事故で帰らぬ人となりました。しかしまた同時に、チーム・ロータスはここモンツァで幾多の栄光も掴み取っています。そのひとつが1963年、革新的なモノコック・シャシーのロータス25でシーズンを席巻したジム・クラークによる世界王座獲得です。これはクラークにとってもチーム・ロータスにとっても記念すべき初めての王座でした。

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当時のイギリスでは、至る所でジム・クラークとロータス25がミニカーのモチーフとなっています。上の写真、左側は“マッチボックス”の小さなロータス25。当時日本にも輸入されていました。当時のお値段は1台150円でした。世界中で大ヒットしたミニカーです。ドライバーがどう見てもBucoのヘルメットを被ったクラークにしか見えないところが素晴らしいです。きっと当時、イギリスでは少年達のマスト・アイテムだったことでしょう。

右側はスロットカーの元祖として知られる“SCALEXTRIC(スケレークストリック)のカタログ表紙。クラーク駆るロータス25のイラストと顔写真がフィーチャーされています。

マッチボックスのミニカーは日本人の私が持っているぐらいですから、イギリス国内には途方もない数がいまだに残っていることでしょう。ペイントが剥げ、タイヤが取れてしまっても、クラークへの想い故に棄てられないオジサンが沢山いるような気がします。日本でも事情は変わらないかもしれません。ボーイズ・ライフで育った世代の方々にとって、ジム・クラークは生涯のヒーローでしょうから。私にとってのロニー・ピーターソンと同じですね、きっと。

そんないにしえのレース少年たちに是非ともお薦めしたいロータス25のミニカーがあります。“Classic Team Lotus Japan(クラシック・チーム・ロータス・ジャパン)”が、イタリアの老舗ブルム社とコラボレーションし、1963年にジム・クラークが記録した勝利の中でも記憶に残る、イタリアGPのウイニングマシーンを1/43スケールで再現したものです。イタリアGPの仕様に加えて同年イギリスGP仕様もあり、子細なディテールの差異が正確に再現されています。

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ジム・クラークがモンツァで初の世界王座に就いてから今年で50周年。そしてあのホッケンハイムからは45年。半世紀前に想いを馳せ、1968年の春、突然にヒーローを失ったあの日のレース小僧、あの日の貴方自身に、ささやかなメモリアルプレゼントを贈ってやるのもわるくないかも知れません。クラークの年齢はとうに越してしまったけれど、常に明るく男らしく、正面から闘った、あの男のようであれと。

Lotus 25 1963 MONZA Jim Clark No.8■CTLJ/Brumm 1/43

クラシック・チーム・ロータス・ジャパン


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