パブリカスポーツ(145A)の再生

2011.11.20イベント取材

 昨日、模型界の大先輩であるDTM小森康弘さんにお誘いを頂き、1962年の東京モーターショーに出品されたトヨタスポーツ800の原型とも言えるショーカー、『パブリカスポーツ(145A)』の再生プロジェクトを主軸とするセミナーに出席してきました。

 主宰は、林 英次さんを塾長として1998年に発足した『藁塾』。日本のアート及びデザインの質的向上に寄与すべく、非営利活動を展開なさっています。

 そんな藁塾セミナーには毎回ゲストスピーカーが招かれており、今回は元トヨタ自動車デザイン本部長の諸星和夫さんが担当されました。今回のタイトルは『夢の再生』。1962年のショーで実際に145Aを見て衝撃を受け、トヨタへの入社を決めたと仰る諸星さん。結局、入社後はただの一度も145Aを見ることなく、いつしかそのクルマが既に失われていることを知ります。そして、2007年から同氏は145Aの再生の為に動き出しました。

 今回の催しでは、そんな諸星さんを中心に、上述145A再生チームの方々による濃厚なレクチャー&ディスカッションを大変興味深く拝聴させて頂くことができました。

 昨日の東京は朝から激しい雨。会場の六本木アクシスにずぶ濡れで辿り着くと、銀色の小さなクルマ(のカタチをしたもの)が雨に打たれながら迎えてくれました。これは1/1のスタティック・モデルで、1/5モデルでのスタディをベースに製作されたもの。現在ランニングモデル(実際に走行可能な車輛)が別途製作されているとのことです。

 会場の左脇には、1/5スケール・モデルが、各々の図面と共に並べられていました。
会場にはなんと、“ミスターK”こと、片山 豊さんもお顔も……。お元気そうでした。

 左は1962年当時、関東自工で製作された最初の1/5モデル。 右は1/5でのスタディにおいて、最終的に製作された艤装モデル。特徴的なスライディング・ルーフは開閉可能。製作は小森康弘さんが主宰なさっているDTMの布施さんが手懸けられたとのことです。手前の小さなモデルも布施さんの手によるもの。

 今回最も印象に残ったのは、元関東自工で、145Aの1/5全体計画図をお描きになった満沢 誠さんの設計畑からの含蓄あるお話でした。

 また様々な分野の方々がそれぞれの工法とセンスで作りだした複数の1/5モデルの造型をデジタル・データ化(ポリゴン)して、当時の図面から割り出した最終着地点のデータをベースとするポリゴンと比較するという試み。無論それぞれが異なるのですが、『どれもまた正しい』という諸星さんの言葉に深く共感を覚えました。

 また当時145Aのキーパースンだった菅原留意さんのご子息も興味深いエピソードをいろいろとおきかせ下さいましたのも印象深かったです。かれこれ17~8年前ぐらいにモデルカーズでメルセデス300SLRの特集をやった折、菅原さんに原稿をお願いしたことがあるのですが、校正のやりとりをさせて頂いた折りの なんとなく温かい “べらんめぇ” が、何故か忘れられません。


イベント取材